劇団なきがお4年の依月です。
つい先日、劇団なきがおからの明るい追放を受けたので肩書きとして「劇団なきがお4年の~」というのは適切ではないかもしれませんがお情けあれ。
第37回劇団なきがお卒業公演、無事終演いたしました。
ご覧になってくださった方、応援してくださった方、念を送ってくださった方、誠にありがとうございました。
思い返せばこの公演期間、たくさんのハプニングに見舞われ、幾度となく「公演中止」の4文字が頭に流れてきました。
お察しの通りではありますが、今回の公演はかなりギリギリのところで制作しました。かつての恵まれていた僕たちであれば「公演中止」の選択をしていてもおかしくないほどにギリギリでした。あまり苦労話を他者にすべきでないとは理解しつつも、大学のサークル活動における演劇活動はおそらくそのような身内感も特徴の一部ではあると感じているので、そこに甘んじて一部お話させていただきます。
どこまで裏事情を明かしていいものか分かりませんが、この公演、実は1度も対面稽古を行いませんでした。行えませんでした。
完全オンラインで稽古を行い、半日で舞台美術の制作、1日半で仕込み、半日で照明や音響、立ち位置のチェック。それで本番を迎えました。
役者のポテンシャルとその場の勢いに賭けた公演です。
実際かなり大変でした。
でも、このようなギリギリの環境だから生まれたものでもあります。
最近よく聴いている曲の一節にこのような歌詞があります。
【ギリギリに立ってんだって 分かってるのに 嫌でも浮かんでしまった 理想の先】
最初に聴いたとき、あまりにも自分らの環境に即していて驚いた記憶があります。バーナム効果かもしれませんがそれに救われたので結果オーライです。
ギリギリの状況だって僕らも分かっていました。そこまで物分かりの悪い幼子ではありません。それでも僕たちは〔卒業公演をうつ〕という理想を抱いてしまった。
慣れ親しんだアトリエTで、慣れ親しんだメンバーで、「劇団なきがお」という看板を掛けて公演を打ちたいと。
理想を追った先に今回の公演がありました。
言ってしまえばこの第37回公演は100%全員の理想が叶ったものかと言われればそうではありません。みな、どこか妥協をしています。悲しいですがそれが現実です。
でもこの世の中を22年間生きた地球人としては、そもそも全員の理想が100%叶うものなんてないと思うんです。みなどこか妥協をして、現実を見て、その制限の中でどれだけ自分の理想を叶えられるのかに期待し挑んでいるのだと思います。
さて、先ほど引用した歌の最後の方にはこうあります。
【“今”を生き抜くだけ】
僕たちは“今”を生き抜くしかないんですね。
行動に制限のかかる“今”を生き抜く。
“今”を生き抜いた先には
一体どのような色彩が広がっているのでしょうか。
一体どのような現実が待っているのでしょうか。
短期的に見れば必ずしも理想を詰め込んだ色彩にはなっていなくても、最終的にはきっと自分の気に入った色彩が広がっていると思います。そうであってほしいな。
皆さんはどんな理想を描いていますか?
どんな今を生きていますか?
お互い、強く生きていきましょう。
さて、お前はいつまで語るんだと思われそうですが最後なので許してください。
ここからは「ラジオ部活動日誌」について語っていくので興味のある方は僕の思考の旅に少しお付き合いください。
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