スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。
智哉役:ああああ
ーーーーーーーーー
ん~なんか変だなというか。かすかに感じるそこはかとないもの。のみならず変だなと人によっては感じないかもしれないもののこと。

とにかくこんな感覚をまとめてみると、、とりあえず「違和感」という名前になりますかね。ネーム…無論演劇にとっても名前は重要ですね。

念押しさせてください。
以降でまずフォーカスするのは役(登場人物)の名前ではなく役者(演者)の名前!


演劇をオンラインでするようになってから職はずっと制作チーフでした。多分その仕事ゆえなのかな。なかんずく気にかかるのは役者の名前です。
隙自語すると全盛期の高校3年間も才能ないのにそんな立場だったんですよ。

良さげに前置きとしりとりが一区切りしたところで本文に入ります。スターティン!!!



制作部が作る雛形には皆の名前
役者とスタッフの名前が載る
少し違和感がありませんか
染まる。の人々の名前に
フライヤーにある名前
見て気づきましたか
芸名が多いんです
本名でない名前
フライヤーに
半分以上も
個性的に
並んだ
芸名

注意
以下の
ブログは
目立たない
と思うけれど
折角公開するし
適度に忖度しつつ
真面目に取り組もう
と思って書いています
名前は養育者がご子息に
希望や望ましい才能を宿す
そんなイメージがありますが
芸名に宿るものは何でしょうか


芸名に宿るもの

それは闇です ダーック(゚∈゚*)




もし才能があるとすれば

1つ、友人や周囲に恵まれたこと。皆様のおかげで公演ができています。
2つ、ある程度は常識があること。人の心を抉るなんてしてはいけない。
最後の1つ。人の嫌がることがはっきりと感じられること、があること。

以上3つ。ということで私は常識人寄りであり諫めてくれる人もいます。
よって他人に教わり自ら学ぶ中で、億が一人の奥底が見えたとて、無名が似つかわしいことは認めざるを得ません。

幾何の自信こそあれ才能と喧伝できる個性はないです、かわいそうな人


ただし才能などそんなものであるとも思います。
仮に秀でていたとしてそれは確固たる自信となるのか。
プロさえその道の中で1番であることしか証明できないのに。

演技がとても素晴らしいかもしれない。
部署仕事がよくできるのかもしれない。
当然演劇をするには誰かしら必要ですが、特定の誰かである必要はめったにない。

だから才能などそんなものと思うし、だからこそ才能とはめったにないものとも思います。


幸か不幸か往々にして界隈に湧く一部の囲いやサークルの仲間は 天才ですと擁護してくれる存在ですが、、、自己実現と読み替えますか、主演もチーフもサークルなど囲まれた世界からの“挑戦”をきっかけにエキストラの一介に転生するなんて陳腐な英雄譚です。

無名な当方は脇役も重要と遠吠えしたいですがそれが望んだ姿か、はやはり別の話。でワナワナしてしまいます。





そんな私も高校の3年間は世界で1番幸せだったと思えます。
思うだけなら自由!と保険すべきかもですがそう思ってます。

望んでいた演劇をしながら演劇のような願ってもない現実を生きていました。
刺激的な演劇と現実を生きるうちにこれまでの15年間の生活も忘れ、そして3年間を生き終え思い返すようになったとき。

上京した頃僕はこれまでの刺激と3年が終わった緩急で頭がおかしくなっていました

一生の癒しでさえ、いやだからこそなのか。それに自分を壊される温度差が不愉快な凍える生活
3月のこの頃でさえ、いや卒業と入学という分け目の時期だからこそ寒気や悪寒に悩むこの頃です


半年前、前回公演ブログの機会に当時を整理したのですが…幾多の台本企画書報告書を認めてきて初めてワードファイルが真っ白に染まりました。

記録も記憶もあれば思い出せるというメリットと失ったときの喪失感のデメリットがある。。。授業料の割にあてーめーてーな教訓で悲しい涙です 授業料を訝しむのは去年の5月以来でした

幸せを知っているからこそ、とか。輝き故に、とかそんな感じ。
才能や青春もやはり人を癒やすものであり壊すものだと感じます。
自分の寄り所は時に、己の欠落を他の何よりも鮮明に突きつけます。


あなたは何かコンプレックスを抱えている


墓場行きの秘密 自虐に擬態させたもの
といったように





多くはコンプレックスのような枠組みで語られる闇も、1日が真夜中に始まり宇宙は母であるようにある種の原点でもあります。
芸名は青春など最も美化された記憶への憧憬と後悔、才能とコンプレックス、それらが真っ黒に塗りつぶされている。
違和感はそこから感じれるものと思います。

恥ずかしい自分を隠すカーテンのような
傷を負った自身を癒すソファーのような
自己の理想を公開するメディアであったり自ら挑むと決めぶち壊したドアであったり

演劇にとってどうかは置いといて芸名は個人にとって良い名前です。



自分も芸名がある演劇人()の一部

芸名。それでお客さんが呼べた時はともかく今は自分の芸名はどうでも、いやどうでもいいってことはないけど。。。うーん、拘りがない拘り的な?演劇を楽しいとの楽観視を隔てた隠れ蓑であればどうでもいい、ということにしよう

ということで自分は ああああ といいます。





[第2幕]~ここからが本題~

名札のない店員に会ったことはありますか

特にファミレスあたりでは一介の客も記名し、作り声で名前を呼ばれる。だからかウェイターに名札が無いと少し違和感です。

店員と客という希薄な人間関係は…名札がないと、名前が呼ばれないと、名前が無い存在であることに拍車がかかる
演劇さんぽく言えばモブ。いや名札があっても店員を人間として意識することは稀でしょうか(罵詈雑言は見るのも嫌です、、)




公私交々のブログなので公演をぜひご覧くださいとお誂えに加えてもう1つ。

是非は置いといて芸名のように演劇には、すべてのことには語りたい背景や経緯があります。

名前を始めとした、含まれるもの。そこを気にかけていただけたらこれ幸い至極です。

通信環境やスケジュール、人員に悩まされて稽古をし、ついえてしまった部署仕事があり、公演に至りました。その執念の裏にある犠牲…みたいなものでも。

前回公演は人が死ぬんですがそのときも書いたのですが、それぞれの経緯や背景。
死ぬことがなくてもそこに今一度目を向けていたたければ役として役職として、また個人的にも嬉しいです。
同じ事の繰り返しをお詫びします。すみません。


んーなんか変だなというか、かすかに感じるそこはかとないもの、のみならず変だなと人によっては感じないかもしれない感覚。

奇しくも違和感はそれぞれのメッセージを見つけるヒントになると思います。
すべてに気は向けられない、言わずもがなですが信じています。少なくとも身近なところに何かあったのかと気を向けるだけで変わることもあると。




ところで私が請け負う役の名前は?

はいそうです正解は『智哉』

『哉』って高校の漢文の印象が強いです。少し記憶があやふやですが詠嘆の字ですよね。念のためテストでは「ああ」と訳すやつです。

すると否が応でも浮かぶああああの名。名前や芸名は悲嬉交々。もっとも呼ばれないことはどんな才能があっても悲しいに違いない。



以上で終わりのつもりです。すっかりしりとりになったところで失礼します。

すべて同じことの繰り返しなのでしょう、嬉しいことなのか、悲しいことなのかな。
    2021/03/24(水) 18:00 第34回公演 PERMALINK COM(0)
    祐樹役:伊月紡
    ーーーーーーーー
    はじめましての人もそうでない人も、はじめまして!
    この名義で役者ブログを書くのは初か?と思ったところで第32回公演が頭をよぎったので初ではありませんね。多分僕は僕が思っている以上になきがおライフを送っている。

    ってか名乗ってなかったじゃん。
    C類(特別支援教育教員養成課程)発達障害教育専攻3年の伊月紡です!
    あと少しで4年になるという現実から逃げたいです。僕が光くらいの速さで走ることができれば現実から逃げられた気がするので、来世は光になりたいです。光ファイバーをシャトルランしたい。

    目の前の教採テキストから逃げるように、そして「寝るまでは今日だ!」と言い張って期日から25分遅れの今、このブログを書いております。

    特に書きたいこともないので最近のお話でもしましょうかね。12月くらいから平日は毎日のように小学校のボランティアに行っています。色々な学校で色々な子どもと関わりながら日々、勉強(と言いつつめちゃくちゃ楽しんでいる)をしています。子どもって、常識とか通例とか空気とか、そういうのを全く気にせずにいるケースも多くて面白いんですよね。

    例えばですと、この前、色についての絵本を読んでいた子たちが「どんないろーがすき?」と歌いながら聞いてきたことがありまして、この歌はそのあと「一番先になくなるの、◯色のクレヨン」というフレーズが続くので僕は察して「緑!」と答えたんですね。絶対にクレヨンにありそうで、それでいて歌のテンポに合わせやすい3文字の色を。まあそしたら普通に歌が終わって、次は僕が聞き返したんですね。「どんないろーがすき?」と。そしたらその子は「エメラルドグリーン!」と答えたんですね。

    いや、字余り半端ないよ??
    ってかエメラルドグリーンのクレヨンなんて、小学生のお道具箱のなかに潜むクレヨンセットの中にないぞ??

    僕が困惑するのを気にせず、そして歌のテンポや拍も気にせずに子どもは歌いきりました。楽しそうに。

    なんか、その姿をみていると、常識とか空気とかその他もろもろ、大人になると色々なことに囚われてしまいがちなんだなーって。そういうつまらない不文律に束縛されて染められて、なんか大人になるってつまらなくなることなのかなと、少し悲しい気持ちになりそうでした。
    まあすぐに別の子どもが背中に飛び乗って来たし隣の子どもは暴れ始めたしで、そんな余韻に浸る間もなかったのですが。

    つまらないものに束縛されることも染められることもないよう生きていきたいですね。なんだこれ。

    ということで無理矢理本文に「染まる」系統の言葉を出したところで宣伝です。
    4月の頭から「染まる。」って作品を流します。
    1年生たちも上級生たちも、なにかに染まりつつ頑張っています。こんな状況でも形になるもんだなーと何故か他人事のように感動しています。おそらく1ヶ月くらい流されると思うので1回でも複数回でもみていただければ幸いです。
    脚本さんの魂に聞いてみると、どうやら2本とも観るのがお薦めだそうです。

    ということで、是非皆様、僕たちに少しだけ人生の中のお時間をいただけませんか?
    そして欲を言うなれば、観たあとに「自分は何に染まっているんだろう」と考えてみて欲しいです。多分人生の経験値が0.1くらいは上がると思います。
    よろしくお願いします。
      2021/03/24(水) 18:00 第34回公演 PERMALINK COM(0)
      スポンサードリンク


      この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
      コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
      また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。