劇団なきがお 第15回公演「不完全解答用紙」
全公演、並びに片付けも終了いたしました。
ご来場くださった方々、それができなくても応援してくださった方々、本当にありがとうございました。
更新日はともかく、書いている日は12/29です。肉の日とか言ってる場合ではなく、年越しです。
2016年も終わり、2017年を迎えようとしてます。
僕は2016年が好きです。
僕個人に起こった出来事を考えると非常に苦笑いしか出来ないのですが、すごい好きです。
というか、2016という数字が好きです。というか4の倍数が好きです。
奇数で余り物がない、そうかといって二人ぼっちでもなく、かといって多すぎもしない。
寂しくなく、でも騒がしくなく、どことなく柔らかいイメージがある4という数字が好きです。
だから、4で割り切れる2016という数字が僕は好きです。
そう好きな数字で割り切れる西暦。
その年にあやかって、僕はやりたかったことで2016年を終わらせられることを光栄に思います。
本来、今回使った脚本は劇団なきがおで使う予定はありませんでした。
ただ趣味で、書きたかったことを書いたものでした。
痛々しくて、矛盾していて、どうしようもないことを書きたかったのです。
人生で初めて、完結させたお話です。
でも、それが初めて日の目を見たのが今年の7月。
名古屋の菊華高校演劇部の皆さんが、この稚拙な脚本を上演してくれました。
テスト期間中ということを忘れ、名古屋まで足を運び、彼らが作った「不完全解答用紙」を観ました。
高校生の過去を振り返る話であるので、高校生の彼らはしっかりと作り込んで演じてくださいました。
その時、思ったのです。「劇団なきがおでこの劇をやりたい」と。心から。
この稚拙な劇を、大学生の僕ら彼ら彼女らでやったらどんな劇になるのだろうと。
それが今回、この公演を打った経緯です。
その公演がこの度、終わりました。
評価は決して大好評とは言えなかったでしょう。
参加してくれた団員は、各々、自身の課題が見えたことでしょう。そう信じたいです。僕にだって見えたのだから、僕より優秀な先輩、同期、後輩たちには、もう充分に見えたはずです。
彼ら彼女らは、これからどんどん成長していくことでしょう。
僕の演劇は、ここで一区切りです。
始めて2年もしてない奴が何言ってんだって話ですが、それでも一区切りです。
努力してやりたかったことができた。
努力してもやりたかったことができなかった。
その両方を以って、解答用紙を提出してきました。
未完成じゃない完成した不完全な解答用紙でしたが、それを提出しました。
公演が終わり、解答用紙の答え合わせも終わり、あとは解き直しだけです。
解き直す彼ら彼女らのこれからは明るいでしょうか。暗いでしょうか。それは僕にはわかりません。
それでも、解き直しができることは成長できるということです。
3月には2013年度生の卒業公演が控えています。
それ以外でもこれから劇団なきがおは活動していきます、成長していきます。
このブログを読んでくださってる方々へ。
これからの劇団なきがおの成長を見守っていただければ幸いです。
段々、隠居前のブログみたいになってきたのでこの辺で。
重ね重ねになりますが、
今回公演に関わってくださった方々、ご来場してくださった方々、応援してくださった方々
誠にありがとうございました。
(2年 みやした)
真面目にブログ更新するのも癪なので、ついでに短篇小説でも書いときますね!
本番直前に今回公演で後輩から三題噺のお題としてもらった。
「わらび餅」「ヨーグルト」「紙コップ」を使った話です。
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僕は、手品が嫌いだ
見る人はみんな驚いて喜んで、拍手をしてチップを渡すけど、人様を欺く行為であることは変わらない。
それを許容するということは、人に嘘を吐いて生きることを許容することと変わらない。
思ったことを言わないことは耐えられるけど、思ったことと違うことを言う嘘は相手に失礼だと思うからだ。
母は、コインが入った紙コップと入ってない紙コップを使った手品が好きだった。
昔、親戚が幼い母の前で見せてくれたというその手品を得意げに行う。
二人で居間にいて、暇になるとすぐに、台所から紙コップを持ってきて、片方のコップに500円を入れる。
「もし、入ってる方を当てたら、この500円をお小遣いであげるね」
そう言って笑う母の表情が憎たらしかった。
もちろん、最初からそうだったわけじゃない。
始めは、外しても母にタネを教えてほしいと無邪気にねだった。母は笑顔で、
「どうしてだろうね」
と、とぼけるだけだった。
僕が飽き飽きするまで行われたその儀式の中で、僕は一度も500円を取れたことはなかった。
子供にとって500円は大金だ。500円があれば、一食分のご飯が買えたり、漫画を一冊買えたり、ゲーセンで五回は遊べる。そんなものを見せびらかして、取れるチャンスがあるように見せる母の笑顔が、僕をひどく苛立たせた。
僕が外すと母は、機嫌を取るかのように買ってきたわらび餅を僕にくれた。
わらび餅は嫌いだ。意味もなく甘ったるいし、口の中に粉がへばりつくし、何より憎たらしい笑顔を浮かべる母の好物だったから、嫌いだった。
だから、僕は拗ねて、僕の好物であって母の嫌いなヨーグルトを食べるようになった。冷蔵庫のわらび餅を捨てて、ヨーグルトを冷蔵庫に入れることもあった。母に、嫌がらせがしたかったのだ。
高校生になって、母と話すことが少なくなった。
今思えば反抗期だったという子供らしい理由だが、母とわざわざ会話をするのが煩わしくなった。
それでも母は時折、僕の前で手品を行った。
僕と少しでも話すきっかけが欲しかったのだろう。
でも、僕は高校生になっても手品が嫌いだった。嘘が嫌いだった。
「いい加減にしろよ! わざわざガキ扱いしておちょくって楽しいかよ! 嘘ついて楽しいかよ うぜえんだよ! 死ねよ!」
ある日、母の持ってきた紙コップをぐちゃぐちゃに握り潰し、叩きつけた。
その日のことは鮮明に覚えている。
陸上部の参加メンバー発表で、僕は怪我を理由にメンバー落ちした。怪我なんかしてなかった。後輩がコーチに告げ口したのだ。「先輩は足を怪我しています。それでも大会に出ようとしています。言うなって言われたけど、俺は先輩にこんなところで終わって欲しくない」と泣きながら言ったそうだ。監督はその嘘を信じた。メンバー発表の後に抗議しても聞いてもらえず、告げ口した後輩が代わりにメンバー入りした。後輩は、笑っていた。その悔しさがぬぐい切れず、その怒りを母親にぶつけてしまった。笑う母の表情が、笑う後輩の顔とダブったのだ。ダブるはずがないのに、母はそんな笑顔じゃなかったのに。
母は、僕が叩きつけた紙コップを拾いながら、まだ笑顔だった。
「そっか。もう子供じゃないもんね。ごめんね」
母は、笑っていた。
母は、泣いていた。
母は、それでも笑っていた。
母は、僕に笑って欲しかったんだ。
母は、タネを教えてとねだった頃の僕の笑顔を取り戻したかったんだ。
僕は、その日のことを鮮明に覚えている。
大学生になったとき、母が倒れた。
一人暮らしに馴れ始めた一年の五月頃だった。珍しく父親から連絡が入った。
「もう、長くはないんだと」
そう淡白に伝える父親の声は、電話越しでもわかるくらいに震えていた。
それでも、僕は駆けつけることはしなかった。母が嫌いだったからだ。
父親が何度も見舞いに来いと言ったけど、それでも大学が忙しいからと言って断っていた。
夏休みにそんなことを忘れたかのように地元へ帰った。
父親は無表情で、「母さんの見舞いに行くぞ」と僕を車に乗せた。
楽観的に僕は、どうせいつもみたいに笑っているんだろって思っていた。
家からずっと無言だった父は、病室を目の前にして気を遣うように言った。
「お前が思ってるような状態じゃない。あまり、母さんの前で驚くなよ」
何の脅しだよと思いながら、僕は何も気にせず扉を開けた。
そこは僕にとって初めてのものばかりだった。
初めて生で見る、人工呼吸器。
初めて生で聞く、点滴が落ちる音。
初めて生で嗅ぐ、異様な薬品の匂い。
そして、初めて感じた、母の死の予感。
「来てくれたんだ」
首を傾けることすらままならない母は、横目に僕を見ると、ゆっくりと口角を上げた。
やはり母は笑っていた。弱弱しく、痛々しく、笑っていた。
細くなった腕、副作用で抜けた髪、皺の増えた顔。
その全てを見て、僕は堪えきれず走り出した。
父親が遠くで叫ぶ声を振り切って、僕は病院を抜け出した。
「母さん、ずっと病気と闘ってたんだ。いつか、お前が来てくれるって信じて闘ってたんだよ」
家に帰ってきた父は、そんなことを言った。
「本当は、言われた余命はもう過ぎてる。それでも、母さんは言わないであげてって言ったんだ。言わないで、来たくなったら来てくれればいいよって言ったんだ。それまで私は生きるから、来てくれたときに笑っていたいから。笑っててほしいからって」
そう言った父親の顔に浮かぶ表情を僕は見ることができなかった。
翌日、僕は病室に行った。
手には、二つの紙コップ。
病室に入ると、母はまた笑った。
「来てくれたんだ」
そう言う母の呼びかけに答えず、ベッドの近くに座る。
母の目線が僕の手元に届く場所に椅子を持ってきて座る。
財布から500円玉を取り出して、右のコップに入れる。
「どっちのコップに入ってるか答えられたら、僕の好きな食べ物を教えてあげる」
そう言って、母の顔を見ると、母は笑っていた。
「いいよ。やってよ」
楽しそうに、無邪気な子供のように、挑発するように言った。
やったことはなくても、やり方は分かる。何度も見てきたのだから、何度も騙されてきたのだから。
コインを裏返して膝の上に置く。
母は、笑顔で僕の膝の上に置かれてるコップを見た。
そして、その笑顔を絶やさぬまま、言った。
「左手」
そう言って、弱弱しく勝ち誇ったかのように僕の目を見た。
コップのどっちにも、500円玉は入ってない。ひっくり返すときに、僕の左手に500円玉を入れておいた。
母がやるときはいつも右手に入れていた。僕が答えてから、答えた逆のコップに500円玉を入れていたのだ。
左手を開く。そこには僕の用意した500円玉がある。
「やっぱり母さんにはかなわなかったなあ」
「何年その手品、やってると思ってるの?」
「せっかく逆の手にしたのに」
「不自然だったよ」
僕は、笑う。母も、笑う。
「ヨーグルトでしょ。好きな食べ物」
母は、笑いながら言う。
「わかってたのよ。ヨーグルトが好きだって。私は嫌いだけど、あなたがヨーグルトが好きだから、私も食べてみた。でも、ダメね。やっぱり、甘くないもの。だから、私は、あなたと食べるときに、ヨーグルトじゃなくて、わらび餅を食べたかった。好きな息子と一緒に、好きなものを食べたかったのよ」
母は泣きながら言う。
「ごめんね。わがままな、お母さんで。ごめんね、あなたの好きなもの、食べてあげられなくて。ごめんね、あなたの嫌いな手品ばっかり、見せちゃって。ごめんね、ごめんね」
謝り続ける母は、笑いながら、泣いていた。
母さんの顔は、こうだった。笑おうとして、泣いている。でも、違う。それが見たかったんじゃない。
僕は、母さんの笑顔を知っている。少し、意地悪に笑う、そんな母さんの笑顔が見たかったんだ。
だから、代わりに僕がやる。
僕が、意地悪く笑ってやる。
「ちょっと待ってて」
病院から出る。コンビニであるものを買う。
病室に戻ると母は、怪訝な顔をしていた。
僕は、袋からわらび餅を取り出して、目の前で食べ始める。
おいしそうに、楽しそうに、食べる。
「僕は、わらび餅が好きだよ。とても甘くて、口の中で粉が残っちゃうところも楽しくて、母さんが好きなわらび餅、僕も好きだよ」
楽しそうに、意地悪く言ってやる。
「僕の好きなもの、はずれちゃったね」
母は、そんな僕を見て泣きながら笑った。意地悪く、楽しそうに笑った。
「うそつき。でも、ありがとう」
僕は、大人になった。
結婚もして娘が一人いる。
暇そうな娘の前で、紙コップを二つ見せる。
「どっちかに500円が入ってるよ。どっちに入っているか当てられたら、この500円玉をお小遣いにしてあげる」
そう言って、右のコップに500円玉を入れた。
娘は楽しげに笑っている。
「左!」
そう言った娘に、意地悪く、楽しそうに笑ってやる。
500円玉は、僕の右手にある。
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やべえ、何も考えずに書き始めるとよくわかんない。
それでは、こんな遊びの小説を読んでくれた方、よいお年を!