いつものように、朝が来て、土砂災害を、取り上げた、ニュース横目に、朝飯を、食べて身支度、整えて、バタバタ家出て、気が付けば、中央線に、揺られてる、スマホの画面が、眩しくて、眠気に負けて、もたれると、たどり着くのは、国分寺、じめじめした空、歩く道、授業昼飯、また授業、そうして時は、流れゆく、おかしいことは、何もない、帰宅終電、エレベータ、風呂に浸かって、考える、瞼を閉じて、顔上げる、思い返すは、初夏の日々、瞬くように、駆け抜けた、幸せだった、ひとときを、そして意識は、夢の中、いつものように、朝が来る。
大きな公演を終えた余韻に浸りたいのはやまやまだけれど、今は目先の課題や試験勉強のことで頭がいっぱいで、それらが落ち着いた頃にはきっと、遠い昔の出来事のように思えてしまうのだろう。感情は移り行くものなのだから。
こんな感じに適当な世迷言を並べながら、とりとめもなくポエムを綴っていくのでご容赦ください。
嘘です、すみません。割とちゃんと書いたので、興味のある方だけでいいので、読んでいってください…。
↓以下本文↓
この度、劇団なきがおの第22回公演「泥棒役者」にご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました。
公演観に来られなかったけれど応援してくださった皆様、このブログをご覧の全ての皆様に、ありがとうございました。
演出を務めました、3年生の飯島です。
劇団なきがおの2016年度生では初演出となったわけですが、企画が始まった当初の気持ちとしては「打てたらいいな」くらいで、まさか本当にやることになるとは…といった情けないやる気のなさを露呈しておりました。
ただまぁ、適度な期待と重圧を背負ってしまえば、自然と体は動き出す。というのが、飯島悠貴という人なので、わずかばかりの50日で公演を打つというチャレンジがスタートし、先日ようやくゴールに辿り着きました。
長かったようで、あっという間の50日。振り返ってみれば、たくさんの思い出ができました。フレッシュで個性に満ち溢れた6人の1年生を加えたこれからの劇団なきがおの新たな旅立ちになったかと思います。
とにかく、楽しかった。
みんなも、楽しかったのかな。
あるステージの終演後、だれかさんに「これは演劇じゃなくてコントだったね」と言われました。まぁ、確かにって思う半面、じゃあ演劇って何だろう…と思いました。というわけで、引いてみようぜ広辞苑!
えん-げき【演劇】
作者の仕組んだ筋書(戯曲・台本)にもとづき、俳優(演者)が舞台の上で言葉(台詞)・動作によって、物語・人物また思想・感情などを表現して観客に見せる総合芸術。多くの演出者が一定の劇作術の下に指導し、舞台装置・照明・音楽などにより効果をあげる。芝居。狂言。演戯。劇。プレー。ドラマ。
…これも演劇じゃないか!(机バンバン)
茶番はさておき、観てくださった人によって、今回の公演の受け止め方は様々だったかと思います。それは演劇かコントかという部分に限らず、観た人の何かしらの感情の変化や思考の推移といった漠然としたところに関してです。
かくいう私も、出演でありながら第一に演出ですので、一概にこうだと言える教科書のようなものを持っていなければならないのですが、今回は簡単に形容できないのです。ステージによってもやってること違いますし。
舞台作品としてのレベルを問われたら、個人的にまだまだだなという気はしますが、劇団なきがおの公演として、ひとつ納得のいくものになったと思っています。というのも、今回目指したものが、一般的な目標とは違うからです。
『悲しい涙より、温かい涙を』
劇団なきがおの旗印は、活動指針であり、何よりわかりやすいアイデンティティです。しかし温かい涙の定義はどこにもなく、それこそ広辞苑は教えてくれません。なんとなくその時々に、理由をつけて公演を打っているわけです。
過去の公演後の演出ブログには、その時々の演出の思考の軌跡が綴られていまして、そこには様々な想いが渦巻いていました。そこで、話さなければいけないのは、今回劇団なきがおで『泥棒役者』を上演した意味についてです。
まず大前提として、泥棒役者を上演できればどんな形でも良かったのです。それこそ、所属している別の団体にも企画を出しているわけで。しかしそれとは別に、「劇団なきがおで公演を打ちたい」という願い事がありました。
ホームページのメンバー紹介には、全団員の「劇団なきがおに入った理由」が書いてあります。公演に感銘を受けて入った人や、誰かに誘われて入った人、先輩に惚れて入った人、そして…雰囲気に惹かれて入った人がいます。
劇団なきがおの強みは、いつからか揺るぎないものとなってしまったその”あたたかさ”だと、私は思っています。稽古場や仕込み場がギスギスすることはままあれど、気付いたらみんな笑顔だったり涼しい顔だったりするんです。
そんな空気感は時に、甘えを生んでしまうこともあるわけですが、とはいえ張り詰めたままではいつか線は切れてしまいます。劇団なきがおは演劇サークルです。妥協しない傑作を目指すときも、笑顔を捨てたくはありません。
全員が一丸となって全力で取り組める、そして何より全力で楽しめる公演にしたい。そういう想いから、今の劇団なきがおでの公演を企画し、個人的な思い入れの強い泥棒役者を選んだというわけです。
泥棒役者にまつわる個人的なエピソードはこの場で語るようなものでもないので割愛しますが、自分の中では大学に入ってから今までにこんなにも演劇に取り組み続けている原動力、というより原点と言えるような作品なのです。
演劇をやることの楽しさ、という部分はどの団体も同じように持っていると思いますが、今回の公演で目指したのはそれよりももっと深い部分です。演劇サークルとして走り続けることの楽しさ、もっと言えば幸福感ですかね。
正直に言ってしまえば、きっと誰しも等並みにしんどかったと思います。理由は色々あれど、それぞれがしんどい50日間だったと思います。それでも、しんどくてもやめませんでした。誰一人欠けることなく最後までやり抜きました。
続けられた理由はきっと一つでは無いと思いますが、劇団なきがおでの活動に何かしら意味を見出して、あるいは劇団なきがおでの活動が楽しくて幸せで、もしくは劇団なきがおの人たちと過ごす時間が幸せで。
それこそが、このサークルで演劇をやることの価値だと思います。それを今のメンバーに、そして観に来てくださった方々に感じてもらう、そんな中々にとち狂ったことを、演出の目標として掲げて、ここまでやってきたわけです。
実際に、達成できた部分もありますが、伝わらなかった面もあったりしたので、自己評価は中の上です。まぁでもぶっちゃけた話、こんなのは言ってしまえば感動の押し付けですから、部外者からしたらチンプンカンプンでしょう。
けど、そんな内輪ノリが通用するのが、学生演劇の良さでもあります。実際に来場していただいた方のほとんどは誰かしらの知り合いでしたから、終演後の出口はどのステージも終始明るい雰囲気に包まれていました。
人間って不思議なもので、そんな空気の中で、涙腺が緩んだりもします。見に来てくださった方全員の心に残ってほしいなんてことは言いません。自分の心に残る公演になったので、きっと誰かの心にも残せたような気がします。
楽しいひとときを、ありがとうございました。
という風にまとめてしまうこともできたのですが、まだまだ話足りないので、ぜひ時間とお金と心に余裕のある方は、私の時間とお金と心に余裕があるときに、一緒にだらだらと語り明かそうじゃありませんか。