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平素よりなきがおブログをご贔屓にしていただき、誠にありがとうございます。
なんて言い回しでブログを書き出すのも今回が最後となりました、4年の飯島です。
※毎回ちょっとずつ表現が違うから昔のなきがおブログを読み返してみ((殴

さて、私事ではございますが、多くの方にご心配をおかけしましたこと、この場でお詫び申し上げます。
私、飯島悠貴は、ちゃんと、4年で、卒業できます!!!

…はい拍手!

とはいえ、身近に4年で卒業できないことが確定している人間が多いものですから、手放しに喜んでもいられません。
いや、喜んでいいよね?!
とりあえず、大前提として、この公演を以て、2016年度生は劇団なきがおを卒業するわけです。わかったかすてf((殴

私のなきがおでの初舞台は、2016年度の小金井祭、あの、忌々しき(※委員会の事情をサークルのブログに持ち込まないでください)、第64回の小金井祭での公演、1年生企画「〇〇人乗りのロケットで。」でした。

なんか色んな役を代わる代わるやっていた記憶はあるんですけど、具体的なセリフとかは全然パッと出てきません。覚えているのは、GIの仕事の合間に行って、脳死で舞台に立っていた事実だけですね(遊ばせてくれた同期に感謝ですね)。約4年前の話ですから仕方のないことです。

4年。長いようで短くてあっという間だったという人が多いのでしょうが、否、長い、長すぎる。某中等教育学校にいた頃の6年間とか目じゃない、マジで長い長い時間を過ごしてきました。よく私は周りに「俺は人の2倍の速度で生きてるから今n歳だから」とかほざき倒しているんですけど、それだけ密度の濃い時間を過ごして来たんだと自負しています。1日寝てる日とかも結構あったけど。

ん?待て、何の話をしていたんだっけ?

あ、そんでまぁ初舞台から何度か演劇サークルでの出演だったり出演以外の色々な活動を重ねて、今の"じまさん"が出来上がってしまったわけなんですけど、本当にどうしてこうなってしまったって感じですね。

ここで言うのも難ですが、the○ter☓ト□(ちゃんと図形で隠したよ偉い)は人を変えてしまいますね。あの頃の私は、キワモノを軽々演じ抜き、普通の役もキワモノに塗り替えるモンスターになってしまうなんて微塵も考えていなかったでしょう。
↓参考画像↓

ジマさん

はいすぐ話が脱線します、筋道立てて話さないと先生としてやっていけませんよ(自戒)。これ私の個人ブログじゃなくて、卒業公演のブログなので、自分のことつらつら書いていっても意味ないですね(まぁ私の過去の公演ブログはわりかしそんな感じなんですけど…)。

さて、挨拶はこれくらいにして、ちゃんと卒公の話。

公演タイトルである「さらば、ロケットが飛ぶために。」が一体何を意味しているのか、というのが焦点になることは言うまでもないのですが、そもそも、ロケットと聞いて私が思い出すのは、当時の2016年度生1年生企画「〇〇人乗りのロケットで。」です。

きっと演出脚本の彼奴はいろいろ考えて絡みをもたせてると期待に胸を膨らませていた1月頭の僕のワクワクは1ヶ月近く宙ぶらりんだったとかいう話をし始めるとまた脱線して長くなっちゃうんだって学習してください。はい。

こっから本当に真面目に書きます。てか半分ポエムなので酷いです。第22回公演の演出ブログの冒頭に匹敵するくらい酷いです。それでも良ければ、続きを読んでいってください。

「〇〇人乗りのロケットで。」

2016年11月。

あの頃のぼくらは、兎にも角にも、とびっきりのロケットを飛ばすことだけを考えていた。

例えるならそれは、夏休みの自由研究のように、縛られることなく、締切までの時間で、どれだけ凄いものを作り上げられるのかを追い求めた日々だった。

子どもの頃の当たり前が、そこにはあったのだ。

だけど、そんなのは、昔の話。

「さらば、ロケットが飛ぶために。」

2020年3月。

今のぼくらは、いかに安全に、穏便に、確実にロケットを飛ばすかを、考えている。

例えるならそれは、卒業研究のように、あらゆる条件に縛られて、締切までの時間で、どれだけまともなものを作り上げられるのかに頭を悩ませる日々だ。

大人になって知った現実が、目の前に立ちはだかっているのだ。

だけど、そんなのは、つまらない。



時代は令和となり、劇団なきがおの公演ナンバリングも30となりました。
巷では新型コロナウィルスの話題で持ちきりで、この公演も一時は中止の決断をせざるを得ないといった話も出ていましたが、協議を重ねた結果、既にご存知の通り無観客での上演をする運びとなりました。
これは持論ですが、演劇というものに限らず、舞台芸術・エンターテイメントショーは、出演者と観客との隔たりの無さがもたらす臨場感や緊張感といった部分が、大きな魅力の1つだと思っています。
同じ舞台でも、ステージによって役者の息づかい1つとっても全く違って、それは作品に顕著に表れます。
その瞬間というのはきっと、観客にとっても演者にとっても、かけがえのない体験になるはずです。
この大事な体験のチャンスが少なくなってしまったことは残念ですが、一度きりの舞台というのも、これはこれで緊張感があって良いのではないでしょうか。
そして、きっかり映像に記録され、今回は不特定多数の方に見ていただくことができるわけですから、そうした機会を大切にできたらと思います。
こんな世の中で演劇させてもらえるだけで、私としては感無量なわけですが。

さて、劇団なきがお2016年度生はこれにて卒業するわけですが、果たして私たちは後輩に何か残すことはできたのでしょうか。
私は、劇団なきがおの先輩方から多くのことを授かりました。授かったつもりでいるだけの可能性も否めませんが、それはそれで先輩たちの存在が大きかったということになります。
正直な話、今のなきがおは、2017年度生が築き、つなぎとめていてくれたのだと思っています。
今更キャッチコピーの件を蒸し返すことはしませんが、演劇サークルとしての方向性というのを、私たち2016年度生が有耶無耶にしてしまっていたように思います。
そんな中で、優秀な演出家や個性豊かなキャスト、才能あふれるスタッフとなって劇団なきがおを大きくしてくれた後輩たちには、本当に頭が上がりません。
でも、私がかつて感じていた、いつでも温かく迎えてくれる空気感というものは、少し色を変えたのかなとも思います。
サークルの雰囲気なんてものは4年もすれば入れ替わって当然ですし、何なら積極的に換気していくべきものだと思いますが、古株としては一抹の寂しさを覚えます。
だから、古株は積極的に引っこ抜いて出荷する必要があります。今回の公演は、古株のバーゲンセールです。
だからといって、今回の公演において、かつてのなきがおの雰囲気を後輩たちに強要することはあってはならないわけで、私たち2016年度生は、劇団なきがおの第30回公演に参加させてもらっているという意識で臨む必要があると思います。
小屋入りしてからは、ちゃんとできている気がしないんですけど、そこは卒業祝いということで、少しのわがままは許してほしいです。

これはあんまり、というか多分、言うべきことではないんですが、私が大学でしたかったことは、演劇でも委員会活動でもジャグリングでも趣味の追求でもなくて、繋がりと居場所の確保、だったような気がします。
人と人との繋がり、絆。当たり前に存在する居場所。
そんな目に見えない、形のないものばかり欲しがって、大学1年生の春を謳歌していました。
常日頃からやりたいことが多くて仕方ないタイプの人間だったので、いろんなサークルに手を出したというのもありますが、単純にサークルとしての雰囲気の中に、自分の居心地の良さを見つけてしまったんだと思います。
これは、きっと、依存であり、自己満足でしかありません。
何かを成し遂げるということも活動の目的ではありますが、楽しくなかったら続けていません。
自分が、ここにいても良いんだ、という何か赦しのようなものを求めて、実績を解除し続けてきた4年間だったように思います。
然して、私はまた、居場所を失ってしまうわけで。

3月に入って、追いコンにいくつか参加しましたが、未だ卒業の実感が湧いていません。きっとまたすぐ会える気がして、いつでも戻ってこられるような気がして、まだ自分を必要としてくれるのではないかと勝手な期待をしています。
そんなことはなく、これから社会の荒波へと突き落とされる未来を、頭ではわかっていても、心が全然納得してくれません。
でも、

──ずっと、ってわけには、いかないです。

「第一エンジンが落っこちて、」

あの日乗り込んだ小さいロケットは、今も宇宙を漂っている。

そして、前に進むために、少しずつ、燃料を燃やして。
    2020/03/19(木) 21:44 第30回公演 PERMALINK COM(0)
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