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こんにちは、またははじめまして。いやこれを読んでくれる人の大半はきっと私のことをよく知っている人たちで、「ああ毎回ブログの文章が長いお前な」なんて思ってくれるんでしょうか。毎度飽きもせずに長文駄文を書き散らかしていました、4年の近藤です。
我々19年度生の卒業公演が無事終演いたしました。2つある演目のうちの『夜明けの陽が昇るまで』を書かせてもらったので、脚本家としての気持ちをなんか残したいなと思った次第です。

今までも長かったけど最高記録かも!しかも今まではつまらない軽口を挟みながら書いていたものですが、脚本の内容も相まって全然軽くない、大真面目な話になってしまいました。
長い長いブログを書くのもこれで最後と思うと少し名残惜しいような、いや私だけか。良ければお付き合いください。

4年間長かったような短かったような、実は入団してから全公演に関係者として参加させてもらった最強記録(?)を持つ私ですが、今回みたいな長編の脚本を書くのは初めてです。文章書くのは昔から好きなんですけど、なんせまとめるのが下手であちこち行く上に語彙力もないので、なかなか脚本に興味はありつつ書き上げるまでに至りませんでした。
(2022年の新歓では短編を脚本として出しましたが、ほぼ一人語りだったので…ちゃんとした会話の演劇脚本は初めてって訳です)

念の為、公演内容のネタバレを含みます。ネタバレしかありません。まだ観ていないよという方はぜひ、なきがおYoutubeで限定公開している公演映像(4月10日までです!) をご覧になってから読んでいただけると良いと思います。

今回の『夜明けの陽が昇るまで』は、なんというか重いというか、センシティブというか、そんな内容を扱っていました。正直観る人の中にもきっと思い当たりがある人がいるかもしれなくて、そういう意味では世に出すことが怖い部分もあったりして。でも一緒に作ってきてくれた3人が、私の重苦しい思想をうまくなきがおらしい優しさの残る作品にしてくれたのではないでしょうか。
私のことをよく知っている人なら、全部とは言わずとも部分的に「あれお前のことじゃん」と分かってくれた人もいますかね。いてもいなくても良いのですが、最後のブログなんで割とぶちまけちゃいたいと思います。本当に脚本に取り扱っていた話の中で自分が聞くとしんどいかもというテーマがあった人は、あんまり無理しないで(こんなの無理して読むものではないので)ここで止めたり流し読みしてくださっても結構です。




登場人物は、高校の同級生だった美月、祥吾、春樹。美月は高3の春に自死を選び、そこから3年が経った祥吾の部屋に幽霊になった美月が現れるところから物語は始まります。
まあ脚本とかの文章って少なからず書き手の思想や願望が現れるものだと思うんですが、簡単に言えばこれは私の「あったらいいな」の物語でした。祥吾は私自身であり、私のために書いた物語と言っても過言ではありませんでした。
大切な人が亡くなった時、夢でいいから会えたらなんて思うことは誰しもあるのではないかと思います。劇中に登場させた『水平線の歩き方』や『ツナグ』もそういう死者との再会を描くお話ですね。(どちらも私の大好きな物語です。冒頭やお菓子を食べるシーンは水平線のオマージュでもあります。知らなかった方はぜひ)

私もかつてすごく大切な人を亡くして、それが今でもずっとずっと心の底にあります。いるはずも無いのに人混みの中に似たような背格好の人を見かけたら目で追ってしまって、でも私とその人には上手く名前のつけられる関係は無くて。家族でも親友でも恋人でもない、すこしだけ仲の良かった(と信じている)ただの友人なんです。
美月と祥吾の関係はそんなところから生まれています。彼らも気の置けない友人同士だけど、例えばなにかあって一番に電話しようと頭に浮かぶ相手ではないし、授業でペア作れって言われたら真っ先に集まるんじゃなくてお互い余ってたらじゃあやるか、くらいの友達。難しいですよね。親友なんて相手もそう思ってなかったらなかなか名乗れないし、かと言って忘れられてたら結構ダメージ来るし。祥吾はどこからともなく聞いた話から「俺だけ手紙なかったんだ」と勘違いし(結局恋人である春樹以外には書いていないわけですが)余計に美月の死を引きずることになります。でも名前のつかない関係だし、親友のあの子や恋人のあいつの方が苦しいはずなのに辛いだなんて言えないし。祥吾はそういう子です。
だから私が私の友人に会うことはもう叶いませんが、せめてその何十回と考えた妄想を形にしたくて、祥吾という男の子を救う形で生まれた物語なんです。

じゃあ美月や春樹はそのためだけのキャラクターなのかといったらそんなことも無くて。
この2人は恋人でありながら対照的な2人で、美月の語りにもある通りに「その差は埋まらない」ように思えるほど家庭環境が異なります。
私はどっちの気持ちもわかるというか、どちらかと言えば美月に感情移入してしまうのですが。順番に書いていきますね。

まず春樹。「育ちの良い優等生」として描かれる彼には、優等生故の苦悩みたいなものがありますね。祥吾は閉じこもるという形で美月の死を消化しようとしましたが、春樹の性格でそれは選べませんでした。すごく真面目な男の子なので、心配されたらどうにか取り繕いましたし、迷惑もかけまいと全力で高校卒業までは頑張っていました。きっと同級生には「彼女を亡くしたのに誰より頑張っているすごい子」なんて勝手に美談にされてしまったりしたかも。だから彼はもちろん悲しみつつも、聞いてくれる友人や家族はいても、それでもその時に上手く充分に悲しみきれなかったんじゃないかなと思います。
「きっと話しても本当の意味ではわかってくれない」という美月の言葉。彼女は思い込んでいたと言いますが、残酷なことを言えばわかってもらえないのは事実で。私も世間一般からすればある程度恵まれた生活水準の家庭に育ち、また良い教育を享受してきました。大学に入ってからは自分の理解のなかなか追いつかない、想像もつかないような事例をたくさん目にして、自分が相当に恵まれていたとやっと気付いたという意味では春樹と同じです。春樹はたぶん今後進む道の中でも「わかってあげられない」という壁に直面するのだと思いますが、思慮深い春樹ならきっといい支援者になれるんじゃないかな。

そして美月。私は前述の通り環境としては春樹に近い人間ですが、感情の上では美月と重なる部分もいくつかあります。親との関係があんまり良くないところとかね。あとは美月の悩み過ぎて思いつめていっぱいいっぱいになってしまう気持ちも、ちょっとだけわかります。
私は祥吾や春樹のように遺される側の経験があるので、そして幸運にも周りの人間にすごく恵まれてきたので、今日までどうにか思いとどまって生きてくることができました。でもそこの境って紙一重というか、なにかが揃ったら誰でも越えてしまう可能性のある一線だと思うのです。本当に数歩手前までそこに自分も近づいていた時がありました。そして越えてしまった、または越えかけてしまったことのある人は、その時の気持ちを真っ向から否定されたら余計苦しくなってしまうんじゃないかなと思います。
この物語は祥吾を救う一方、美月のことを決して否定せず、彼女の持っていたどうしようもないやりきれない気持ちを理解してほしいと思って書いた部分もありました。

エンディングとして流したあいみょんの『生きていたんだよな』という曲。
この曲は脚本の着想の段階から頭に浮かべていた曲でした。本番では流していませんが、Cメロの歌詞には美月と重なる部分があります。

(以下引用)
今ある命を精一杯生きなさいなんて綺麗事だな。
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって雲をつかんで 風になって遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ

美月が語る「怖いっていうよりちょっと前向き」な死というのは、選択としては非常に後ろ向きに見えるし、外野からすればもっと方法があっただろう死ぬことはなかっただろうと思うかもしれません。でも人は追い込まれた時、そんな正しさなど見えなくなってしまうものだと思います。もう自分の力で切り開く方法が思いつかなくなってしまって、溜め込んだ苦しさが満杯になって零れてしまった時に、全部無くなってしまえと思って美月はその選択をしたのです。彼女は幸せだったと言って、それは紛れもない事実でしょう。だけどある状況において幸せであることと、その隣にどうしようもないほどの苦しさや辛さが一緒に存在していることは決しておかしなことでもなんでもなく、美月がその狭間でキャパオーバーしてしまった結果なのだと思います。
もしかしたら適切な支援とか、生き抜くための情報とか、そういうものがちゃんと届けば彼女が死を選ぶ必要はなかったかもしれません。でもそんなもしもの話をしても取り戻せないものはしょうがないので、せめて美月が、自死を選んでしまった人がもう頑張らなくていいように、苦しまずに安らかであればと思って、祥吾や春樹がそれを受け入れる部分までを書きました。

祥吾は美月に対して「良いとは言いたくないけど、俺はワガママだとは思わない」「それでもお前がしたことを許せない」と言います。また春樹は「それしか無かったんだろ、あの時の美月には」と言って彼女の死を受け入れます。
私自身も、自死を全面的に肯定したくて書いたわけではありません。それは遺された周りの人々までも一緒に引きずり込んでしまう可能性すらある強い力を持った選択ですし、そもそも彼らがそんな選択をしなければならないほど追い詰められてしまう環境自体が間違っていると思います。出来ればそんなことは起こらない方が幸福であるのではないかと思います。
だけど自死を選んだ美月のような(それだけ既に苦しんで傷ついている)誰かを責めたくはなかったのです。それは私の大切な友人に関してもそうです。
言ってしまえばこの物語は美月をこちら側に引き留めることのできなかったその後の話であり、美月は一晩だけの姿として現れて二度と生き返ることはありませんから、救いのない話とも取れるかもしれません。祥吾や春樹にはそれでも後悔は残るのかもしれません。
しかし一晩だけでも、再会して言葉を交わすことで彼らが抱えていたわだかまりが無くなるように、それが彼らにとっての救いであればと願います。

……本当に長々と書いてしまいました。ここまで読んでくださってありがとうございます。

最後に。
私の拙い原案からたくさん発想を広げて、一緒に作ってくれた演出。美月や春樹と向き合って素敵な姿で演じてくれた役者の2人。たくさんワガママ言ってそれをスタッフワークで叶えてくれたなきがおの皆。そしてアトリエTまで足を運んでくれて、(または時間をとって映像を観てくれて)たくさんの感想をくださった観客の皆様。
本当にありがとうございました。演劇に傾倒しつづけた4年間をこの舞台で締めくくることができて嬉しいです。

そして、今まさに美月、祥吾、春樹たちのような苦しさを抱えている、または抱えていたことがある貴方がこの物語に触れることで少しでも心が軽くなることがあれば幸いです。
では、またどこかで出会うことがあれば。
    2023/04/02(日) 21:00 第41回公演 PERMALINK COM(0)
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