時代が追いついた。まるか食品に拍手と喝采を。夜遅くにこんばんは、もしくは朝早くからおはようございます。2年目の団員の建山です。金が無い。
いよいよ、第4回/新入生歓迎公演が秒読み段階に入りました。
舞台の設営に追われる日々にもようやく終わりが見え始め、残る作業も客席の設置などごくごく僅か。
明後日に控えた初演に向けて団員たちのモチベーションも上がってきています。
さて、最近のなきがおでは悪ふざけ99%の建山ですが、劇団旗揚げ1周年を記念してたまには真面目な話をしてみたいと思います。
学内の一角に団員募集の看板が立った「4月22日」を過ぎて、新たな一歩を踏み出す劇団に敬意を示して。
そもそもサークル活動とは、一体何のために行われるのか。
楽しみのため、勉強のため、健康のため、交友関係の輪を広げるため、人によって答えは様々でしょう。
その多様な捉え方の中から、僕は「教育機関」における部活動・サークル活動の役割に着目したいと思います。
勉強の場であるはずの学校の中で、なぜ生徒や学生たちの「遊び」に顧問として教師が付き合わされているのか、なぜ予算としてお金が振り分けられるのか。
不思議に思ったことはないでしょうか?
スポーツがやりたければ友人を集めて勝手に遊べばいいし、芝居だって地域の活動でもなんでも選り好みをしなければ参加できる団体は見つかります。
学校側がリスクを負ってまで生徒に「遊び」の場を提供するのは何故なのか。教師は勉強を教えていれば十分なはずだし、もし活動中に生徒が怪我でもすれば学校の責任となります。
それでも現在の日本の学校のほぼ全てが部活動を認めているのは、学校という組織の中で部活動やサークル活動が「課外教育」であるからだと僕は考えています。
「遊び」ではなく「教育」なのです。学校が勉強の場であることと、生徒に部活動をさせることに何ら矛盾はないことになります。
では、それはどのような目的を持った教育なのか。そして話は遠回りになりましたが、なぜ僕は数ある勉強の場の中から演劇を選んだのかを述べたいと思います。
大雑把に言えば、部活・サークルは学校で学んだ理論を応用し実践をする場でしょう。
教育の目標が、基礎的な理屈を学ぶこと、それと試しに行動を起こして実験することの2つに大きく分けられるとすれば、部活は後者に当たります。
前者は教室で先生が教えられることですが、後者はそういったものではありません。
前者はテスト問題のような答えが必ず出せる次元のもので、解を出すのに必要な知識や理論は限られている上に出題者の意図に従って構成されています。
しかし後者で出される問題には、決まった答えが出せません。
例えば、スポーツ系の部活のチームが強くなって試合に勝てるようになるのには何が必要であるか、これに対して答えを出すには決まった理屈を当てはめるだけでは不足です。
自分たちで問題を分析して、答えを探し求めなければならない。これは実際の社会生活で求められるものであります。
このような応用・実践の場として部活・サークルは存在するのですが、その中でも僕は演劇を選び、中学高校とかれこれ6年間関わってきました。(空白期間は含んでいますが)
実際は他の活動でも変わらないのかもしれませんが、演劇は総合芸術であるために特に問題の分析という分野が重要な実践の場だと思います。
考えていることも日々の生活の流れもまるで違う人間が集まり、作業を分担して一つの芝居を作り上げること。
その中では芝居そのものを作るひともいれば、発表の場である舞台を作るひともいたり、発表として成り立たせるために頑張るひともいます。
しかしそれぞれの分野で完結することなく、全体の進行をお互いが認識しながら、誰かに手伝いを頼んだり、足りないところを埋めたりして芝居は完成します。
演技をすることや木材をいじくることとかスピーカーやらミキサーで遊ぶことなど、個々の作業も好きです。
しかし、僕は集団で何かを作っていることを実感できるからこそ今まで演劇を続けてきたのだと思います。
さて、長くなりましたが、サークルが変わり種の勉強の場であることとその中でも僕が演劇を好きであることは分かっていただけたかと思います。
それでは、またいつかお会いしましょう。